あれから色々ありました

令和4年の予備試験短答式試験が終わってから、またも投稿が止まっていましたがその間にも色々ありました。

・父の逝去

 一昨年母を見送ったばかりなのに昨年父も見送ることになりました。あれよあれよという間に両親ともこの世からいなくなってしまって心の整理が未だにつきません。SNSや同期につい愚痴をこぼしてしまいました。多くの方々に励まされて本当にありがたく思います。
 「看取り期」に入ってからは施設の方が面会を許容して下さり、母の時と違って最後の交流ができました。ある日、もう口のきけない父の耳元で「家を建て、家族を養い守ってきた親父のことを心から尊敬している。ずっと忘れないでくれ」と何度も何度も話しました。それを聞いた親父の目に涙が浮かんでいたので、きっと聞こえていたと思っています。別れを告げることができたのは辛かったけど良かったと思います。
 「コロナ禍での面会謝絶」が引き起こした家族分断の悲劇は枚挙に暇がないです。いわゆるクラスターが発生したときの大騒ぎを考慮するとそうせざるを得ない施設側の事情もありましょう。この取扱が厚労省の通達や指示に基づくものかどうか知りませんが、家族分断の悲劇を招いてもなお優先するべき対立利益とは何だったのか、 施策の検証は必要だと思います。

・コロナに罹患

 これまでなんとか罹らずにいたのですが、とうとう罹ってしまいました。
 熱は3日間位で下がったものの咳と怠さが2か月以上続き、実は今も完治していません。発症時に発熱外来に電話するも繋がらず、キットで調べたら陽性。なんとか自力で陽性者登録(MY HER-SYS)したら65歳未満で基礎疾患もないのでイコール自宅療養希望者の扱いらしく、やっと電話がつながった病院にも来院謝絶。薬が貰えないかと思って「自宅療養者支援センター」に電話するも、声の感じ貴方は軽症者なので病院には来ないでくれとのこと。熱で朦朧としている患者自身が、スマホで色々調べたり、身分証明書等の写真撮影を含む陽性者登録作業をしたり、電話をかけ続けた挙句来院謝絶の応答を聞かねばならないのはきつかったです。結局診察を受けられず薬も貰えず、手持ちの市販風邪薬とのど飴だけで乗り切りました。毎月安くない社会保険料を引かれている身としては色々思う所がありますね。

・予備試験対策

 今は心身の調子がいまいちなので少しペースを落としています。あくまで将来の司法書士業務の足しになるように、それまで法律知識が衰えないようにと始めた勉強でした。これがとても有益です。そして合格がいかに困難か、いかに弁護士の先生の法的思考が深いか、よく分かりました。
 30余年銀行に勤めて稟議書を作成してきたためか、僕の作る文書には2つの悪癖がありました。1つは何でもA4一枚にまとめる習性から計表を駆使したり、多少不正確でもインパクト重視のざっくりした文章を書くこと。もう1つは「思料する」「首肯できる」みたいな銀行(役所?)独特の変な言い回しを使うことです。これらは論文対策をする中で初めて気づきました。
 特に前者の悪癖は難敵です。法律家が作成する文書には厳密な論理性とそれに裏付けられた説得力が必要です。長い間「丁寧に論じる」ということをしてこなかったので、文書を書くだけでなく思考も浅くざっくりしたものになっていました。司法書士は裁判所提出書類作成業務以外にも様々な法律文書を作成するでしょうから、今の勉強はきっと役に立つと思います。

・青司協に参加

 関東に越してこちらで青司協に参加させていただきました。各種相談会や研修などに参加して登記業界との繋がりを大事にしたいためです。また大阪との絆も大切にしたいので大阪青年会も退会せずに籍を置かせていただいています。合格者向けの要件事実ドリル改訂のお手伝いができて嬉しかったです。これから徐々に会社から司法書士へ軸足を移してゆこうと思います。僕に何ができるのかなぁ。。。