元法学部生の独り言

学生時代、憲法とか行政法とか学んで
とても空しくなりました。

条文にはこう書いてあるけれど
制度の話なんで個別の話は別です
プログラム規定なんで政府の"意気込み"だけです

違憲でも今更ひっくり返せないからそのままです
高度に政治的な問題なんで判断しません
高度に技術的な問題も判断しません

救済法あるけど適用除外が山のようにあります
行政処分は違法でもお上が敗訴するまで無問題です
行政指導は処分じゃないからお上は責任持てないです

具体的な争訟じゃないから門前払いです
処分行為じゃないから門前払いです
訴えの利益が無いから門前払いです
最終的に解決できないから門前払いです
訴訟の種類が違うので門前払いです

難しい技術的な話も専門家を擁してる行政が決めた以上
よっぽど酷くなかったら原則的に国は悪くないです

そんな話ばっかり・・・。

色々と法的構成はあるのでしょう。
頭いい人たちが考えた結論なのですから
つじつまは合っているのでしょう。

でも要するに現状を追認するだけ。
結果として異議を唱えても救われないんです。
裁判官は行政機構に取り込まれた"法務官僚"でした。

公益と私益の調整という難しくもやりがいのある法分野において
あまりに「結論ありき」な議論に学生当時非常にガッカリしたんです。

そして今回の原発事故。
過去の原発訴訟の裁判官の言葉が実に空しく響きます。
「事故の危険性はあるけどたぶん実現しないだろう」的な。
この姿勢は2つ間違っていた。
1つは事故が実現する具体的な危険性はあったのだということ。
もう1つはたとえ起きることがごく低確率の危険であっても
万一起きたら取り返しのつかない不可逆的な被害を招くのなら
それは「起こるもの」と考慮しなければならないということ。

実にいい加減な行政、
そして本来行政を厳しく監視すべきなのに
「消極司法」などと行政に媚びてタッグを組んだ司法。
それらに理論的根拠を与えた御用法学者たち。
その巨大なトライアングルの前に守れる「私益」なんて
あろうはずがなかったんですよね・・・。

法律ってなんのためにあるのか。
弱者を守るためだという"建前"を思い出して欲しいです。
知るものが知らざるものを支配するためというのが"本音"としても。

そして憲法行政法学者は今こそ自らの法知識の全てを
原発事故被害者を救うために使って欲しい。
今その法知識を活かさずしてあなた方は一体何のために
勉強してきたのですかという程のタイミングです。
自力救済を禁じた現行法制下においては
裁判しか被害者を救う道は無いんですから。

そう思います。